夫と私が子どもをあきらめざるを得なくなった日から、17年が経つ。つまり夫は、子どもから父の日を祝ってもらうことのない父の日を17回過ごしてきたことになる。夫の父は既に他界しているため、これまではもっぱら、年を重ねる私の父の生存を祝ってくれてきた。
今日の父の日、夫は大好きなゴルフのラウンドに行っている。仲間達との会に属しているが、今日は「父の日ラウンド」なるものらしく、ウェアは黒かグレーか白を着ることになっているという(母の日ラウンドなるものもあって、その日は赤いものを身に着けてラウンドする)。夫は前夜、黒にするか白にするかいそいそと考えていた。
不妊治療をしている当時夫は、私と違って、どうしても子どもが欲しいと子どもに執着していたわけではないように見えたし、子どもがいなければ家族じゃないとか、そんな強迫観念もなかったようだったし、子どもができなければ幸せになれないという考え方もしなかった。
私が、子どもができないことから罪悪感(今はけっして罪悪とは思っていないけれど)に苛まれて、「離婚も考えよう」と言うと、「自分が考える夫婦の人生は、子どもありきではない」と一蹴された。
そんな夫でも、職場や友人関係で多くの仲間に子どもがいる環境下、「うらやましい」と口にしたことは何度かある。他意のない、純粋な感情がこもった言葉だった。
若い時から父親とは離れた暮らしをしていたこともあり、結婚する前から「自分が父親になって、父親というものを経験してみたい」と言っていたし、不妊治療も長くなってなかなかできない状態が続けば、そんな想いもきっと募っていたことだろう。
今、私たちには小さな家族、犬が2匹いる。上が15歳の♂で、下が10歳の♀。私が独身時代長年犬と暮らし、犬のいる人生の楽しさを知っていることや、ふたりで命を育てたい想いもあって、迎え入れた。
トリミングショップやクリニックなどで、飼い主のわれわれを「○○くんのおとうさん」とか「○○ちゃんのおかあさん」などと呼ぶことがあるが、迎え入れた当初夫は、そう呼ばれることに、「僕は父親じゃない」と強く抵抗していた。私が「この子たちにとって、私たちがいなければ生存できないわけで、育てていく私たちはまさに親の役割を担うわけでしょ。いいじゃない、そんな風に呼ばれたって」と言っても、「いや、絶対親じゃない」と受け入れなかった。
でも、今は、迎え入れた15年前と違って、「○○くんのおとうさーん」などと呼ばれると、「ほぉーい」となんの抵抗もなく、当たり前のように反応している。「犬の十戒」を読めば涙し、耳の聞こえなくなってきた上の子を抱きしめては「長生きしてくれ~」と目に涙を溜める。きっと今でも親ではないと思っているかもしれないけれど、夫の心は柔軟に今を受け入れているように見える。
「受け入れる」ってどういうことなんだろう。「その事と、ちゃんと折り合いがつけられるようになること」だとすると、時間は必要。「はい、今日から受け入れられました!」なんてことは難しく、時間の経過と共に抵抗感が和らいだり、敏感に反応しなくてすむようになったり、「絶対ダメ」から「まっ、いっか」と思える瞬間が出てきたり。
その時をなんとかサバイブしていくうちに、気がつけば、、、ということなんじゃないかなと思う。
受け入れられたとしたって、将来その気持ちが揺らぐこともあるかもしれない。きっとそんなことは誰にもわからなくて、でも受け入れようとしながら、折り合いをつけようとしながら、手探りで時間を重ねていくしかないんじゃないだろうか。
今はまだ若さと元気があるから、父の日ラウンドだって折り合いをつけた自分で楽しく回れるとしても、高齢になり体が動かなくなって迎える父の日は、また今とは違う心境かもしれないね。
その時は、その時。
夫を父親にしてあげたかった、でもあげられなかったという私の想いも、当時持っていた申し訳なさや罪悪感とは変化している。というより、そういう想いや自責の念はもはやまったくない。
私:「誰からも祝ってもらえないおとうちゃまの日、なにかしてもらいたいことある?」
夫:「優しくしてくれー」
そんな軽口を叩く父の日が今日も終わる。
※ 一般社団法人ライフキャリア妊活サポート・モリーブでは、妊活・不妊にまつわるさまざまな悩みや葛藤について、専門家にご相談いただける「オンライン相談室『ハナセルフ』」や、同じ立場の人たちがオンラインで集って語らう場『茶話会』をご提供しています。ひとりで抱え込み過ぎず、サポートの手を借りながら、混乱を整理していただけたらと思います。私たちにお手伝いさせてください。
◇ オンライン相談室「ハナセルフ」
◇ 「茶話会」(わかちあいの会)
オフィス永森
一般社団法人ライフキャリア妊活サポート・モリーブ
代表
永森咲希
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